Triple Negative乳ガンの新しい薬剤
当院のホームページではさまざまな乳ガンに関する情報を提供している。そのなかでもTriple negative乳ガンについての記事は常に、そしてたとえ古い記事であってもたくさんアクセスがあり、このガンで悩まれて情報を欲しがっておられる患者さんが多いことがわかる。
ここでは最近保険適応となったTriple negative乳ガンの新しい2つの薬物治療について触れたい。ただこれを読む方に言っておきたいことだが、最初に前提として、新しい薬は皆さんの想像する“夢の特効薬”ではない。治療の選択肢が増えることによって更なる延命が図れるようになった、そう捉えていただくことが適切である。いまでも進行発見乳ガンや、再発乳ガンを確実に治癒させ得る薬は見つかっていない。
“コンパニオン診断”とは
総じて新しい薬は自費での治療など考えられないレベルで非常に高価である。
しかし日本は世界に誇る皆保険がある。そして以前は保険適応が取れた薬は医師の裁量で自由に処方できた。しかし今はさまざまな“制約”が存在している。そういうと誤解を生みやすいのでここできちんと触れておきたい。
新しい薬が保険適応となる際にはかならず満たさないといけない条件がある。それは言えば当たり前だが、実際に患者さんに効果があったことが証明されていないといけない。これは理解できるだろう。その証明は臨床試験によって行われる。薬Xを使ったA群と、その薬を使わなかったB群ではA群のほうが明らかに良い結果が得られた、それがきちんと認められて初めて薬Xは保険適応となる。逆に日本ではもし本当に効果があるのが明らかであれば薬Xの値段に関係なく保険が通る。これは本当に素晴らしいことで世界に誇れることなのだ。だから保険が通らない場合は、“効くという証明がされていない”ということと思って間違いがない。“効くかもしれない”では保険は通らない。
たとえば肺ガンの患者さんをA群B群に分けて、薬Xが明らかに使ったA群でよい結果を出した、となれば薬Xは肺ガンの患者さんでは保険適応となる。しかし乳ガンの患者さんでは保険適応は取れない。
ガンという疾患をひとくくりに考えるならば肺ガンに効くなら乳ガンにも“効きそうだ”。しかし前述したとおり“効きそうだ”では保険は通せない。以前はそこが少し緩かった。しかし薬の値段が信じられないほど高額になるつれ、こうした条件がどんどん厳密になっていった。効くかもしれない、で使ってみたらやっぱり効かなかった、それをカバーできるほど今の保険制度には余裕はない。だから肺ガンの薬は、同じガンだからという理由では乳ガンには保険が通らない。最近では乳ガンが再発したら保険が通る薬がある。再発しても効くのだから、見つかったらすぐに使えばもっと効くはず。しかし証明されていないので、再発患者さんでなければ保険は通らない。そこが患者さんにとって、そして一部の医者にとってもなかなか受け入れがたい。しかし理解はできると思う。
コンパニオン診断はその中で生まれてきた概念である。
例えば乳ガンの再発患者さんのうち、遺伝子にABCという異常がある人には薬Yが効くことが証明された。となれば保険適応は遺伝子ABC異常がある、再発患者さんだけに通る。ところが遺伝子ABCに異常があるかどうかを調べる検査そのものが現状保険適応ではない。そこで乳ガンで再発の人に限って、遺伝子ABCに異常があるかどうかを調べることを保険適応とする、そして異常があった人だけ薬Yを保険適応にする、ということ、これが検査と治療をセットで保険適応にする“コンパニオン”診断の概念である。だから条件を満たさない患者さんでは検査も薬同様に保険が通らない。
ついに実践開始となったPARP阻害剤
ここを読まれる前に私が書いた記事“PARPとトリプルネガティブ”を読んでいただきたい。なんと薬が作られてから保険適応が取れるまで実に2011.5.26から7年近い時間が必要だったのだ。概念が生まれ、開発が進み、実際に薬ができ、それが効くことが“証明される”までは10年は軽くかかってしまうのだろう。
2017年米国臨床腫瘍学会ASCOで発表されたOlympiAD試験によって、PARP阻害剤“オラパリブ”がTriple negative乳ガン(実はだけではない)に効くことが初めて証明された(私は世界で最初に発表されるその会場で聞いていた医師の一人です。自慢。)。
ASCO ANNUAL MEETING '17 Mark Robson, MD
上のスライドがその試験のデザインであるが、もしかすると結果よりも重要なスライドになる。何故か。前述のとおりどういう人に効くと証明されたか、によって保険が通る、通らないが変わってしまうからである。
さてその条件は、まず 1 HER2陰性の“転移性”乳ガンであること(ここで重要なのはTriple negativeの方だけではないことである。ホルモンレセプター陽性でもHER2陰性なら適応である) 2 生まれつきBRCA遺伝子に異常があること 3 前もってアンスラサイクリン、タキサン系薬剤で治療がなされていること 4 転移が発見されてから2レジメンより多くの治療は受けていないこと などなど(以下はTriple negative乳ガンに直接関係しないので省略する)。
こうした方に対してオラパリブ(製品名:リムパーザ)は、従来の薬と比較して約3か月間進行を遅らせることに成功した(4.2か月が7.0か月へ)。それが下のグラフである。そしてその効果はTriple negative乳ガンではホルモンレセプター陽性患者さんよりも、より良好な結果だった。
ASCO ANNUAL MEETING '17 Mark Robson, MD
Triple negative乳ガン患者さんの新しい治療法の道が開けた瞬間である。
そしてここでもう一度コンパニオン診断について読み直していただきたい。
この薬の保険が通る条件は、1 転移再発乳ガンであること 2 HER2陰性であること(Triple negative乳ガンも当然含まれる) 3 前もってアンスラサイクリン、タキサン系薬剤で治療がなされていること(ホルモンレセプター陽性患者さんではホルモン治療もされていること)そして4 遺伝子BRCAに生まれつき異常があること となる。
実は現在遺伝子BRCAに異常があるかどうかは保険適応ではない。そこで1、2、3を満たす人には遺伝子BRCA異常の検査の保険を通し(コンパニオン診断)、4 異常があった人のみリムパーザを保険適応としたのである。
乳ガンにも免疫薬剤
2019年のASCOではもう一つ新しい治療法の効果が証明された。近くこれが保険適応とされることが決まっている。乳ガンで初めて免疫治療の道が開けたこととなる(2019年は会場に行けなかった 申し訳ない)。
ASCO ANNUAL MEETING '19 Dr Peter Schmid
保険適応になったのだから、効果は証明済だということはわかる。問題はどんな人に使えるのかだ、ということがここまで読んでいただけた方にはわかるだろう。
それがこの上のスライドになる。
まとめてみよう。1 転移、あるいは切除不能、局所進行乳ガンであること 2 Triple negative乳ガンであること 3 未治療であること である。
こうした患者さんに対してnab-Paclitaxel(商品名:アブラキサン)を投与した群、そしてアブラキサンに加えて免疫薬剤であるAtezolizumab(テセントリク)を加えて投与した群が比較された。
ASCO ANNUAL MEETING '19 Dr Peter Schmid
そして上のスライドで示したように、確かにこの免疫薬剤は効果を示したのである(5.5か月を7.2か月へ、ガンの進行を遅らせることに成功した。)
免疫薬剤について詳細は別の機会に譲る。
簡単に言えば、ガン細胞は、細菌やウィルスなど体に害をなす存在を排除する免疫の働きを“無効化”する能力がある。この能力をそぐ目的で開発されたのが免疫薬剤である。そしてその能力をつかさどる鍵(ガン細胞側が持つ)と鍵穴(リンパ球などの免疫細胞が持つ)が見つかっているのでこれをブロックする薬剤である、という風に理解しよう。
ただガン細胞によってはこの能力を使っているものと使っていないものがあることもわかっている。そこでこの臨床試験では、患者さんのガン細胞ごとにその鍵の有無を調べてみた。すると鍵を持たないものでは効果が証明されず、鍵を持つものだけで効果があることが分かった。
ASCO ANNUAL MEETING '19 Dr Peter Schmid
このスライドにおいて、PD-L1 IC+(実線)が鍵を使っているガン細胞。IC-(点線)が使っていないガン細胞である。使っているほうでは免疫薬剤を使うと(青線)、生存期間を18.0か月から25.0か月まで伸ばした。しかし使っていない方では19.7か月が19.6か月へとむしろ下がっていたのである。
そこで条件として4 鍵であるPD-L1が発現しているガンであること、が加わることとなった。しかしこのPD-L1が発現しているかどうかの検査もまた現在保険適応ではない。そこでこの検査もコンパニオン診断となった。つまり1、2、3を満たす患者さんがPD-L1発現の検査を受けることができ、そして4 PD-L1が発現している患者さんだけがこの免疫薬剤を保険で使うことができるのである。この薬剤はもうすぐ保険収載され、実際に使えるようになる。
最後に
Triple negative乳ガンは、他の乳ガンのタイプと比較して治療の選択肢が限られている。ホルモン剤の効果がなく、HER2阻害剤も効果がないからである。それだけにこうした新しい治療の選択肢が出てくることは間違いなく朗報である。そしてそれに興味があることも患者さんの心理として当然だろう。
ただ新しい薬剤には経験したことのない副作用もつきものであることを忘れてはならない。ここではあえて触れなかったが、たとえ効果が認められていても、副作用によってそれ以上の使用が制限されることも十分起こりうることなのである。
たった3か月延びただけなの?そう思った方もおられるかもしれない。何より、示したグラフをじっくり見ていただければわかるが、どの治療法であっても数年経過した時点では残念ながら半分近くの方が多くの方が亡くなったり、病勢が再び進行したりしていることがわかる。厳しい現実に変わりはないのだ。
今この瞬間も、限られた人生の大切な時間であることはすべての人に言える。たった3か月といっても、3か月過ぎれば季節は変わる。4回過ぎれば年が変わる。3か月を粗末にする人が時間を有効に使っているとはとても思えない。患者さんが自分の病気、そして治療法のことをネットや文献で調べることにいたずらに時間を費やしていることは医師としてとても残念だ。医師の仕事は医師に任せて、人生を充実したものにするために、もっと自分のために時間を使うようにしていただきたいと心から思う。
乳腺外科部長 渡辺直樹