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日常の笑いとユーモア

 

なぜ恵まれた者は笑いの対象にならないのだろう? 笑われるのはたいてい持たざる者、あるいは何かを欠いた者である。 笑いにもなんらかの格差のようなものがあるのだろう。

笑いには死や災害のように人を選ばない公平さがあるように思っていたのだと作家の西崎さんがエッセーの中で語っています。

 

 しかし改めて考えてみるとその感想こそ錯覚であり、笑いには社会性が濃く滲んでいる。無人島で人は声をあげて笑うだろうか。何かを見て聴いておかしいと思うだろうか。あまりしないような気がする。一方、社会のなかの人間はとにかく笑う。

 

スポーツや勉強ができないことを笑い、方言を笑い、服のセンスが悪いと笑う。若年、老齢ゆえの無知を笑い、髪のない者を笑い、金のない者を笑う。結婚していないこと、子供がいないことを笑い、足りないこと、外れていることを笑う。

 

 そして残念ながら笑いはしばしば排除に結びつく。いじめと笑いはしばしばセットだ。テレビのお笑い番組を見ているとその図式は明解であると…。

 

 もちろん笑いにはさまざまな種類がある。笑いが生じるには基本的に差異や特異点が必要である。しかし作りは同じであっても、結果が違う例もある。

 

「そのハンカチすごく小さくないですか?」と読書会の司会は何気なくSさんに言った。Sさんはハンカチで額の汗を拭いているところだった。Sさんはあらためて自分のハンカチを眺めて「あっ」と言った。Sさんはハンカチを忘れることを防ぐためにひとまずそれを食卓の上に置いた。そして支度に思わぬ時間がかかって焦り、出るときにハンカチではなく、隣にあった布製のコースターをつかんでバッグに入れてしまったのだ。

 

この話のポイントは錯誤である。Sさんは落ちついて確認すればよかったのだ。

 

こういう種類の日常の笑い、ユーモアを称揚したいと思うのはそれが普遍的だからだ。

 

ここで述べた日常的な話は、登場人物が誰でも、そして時代がいつでも、笑いを生じさせるはずでは…

 

人は弱く、人生は厳しい。小さく軽い笑い、その種の笑いはわたしたちの日々を少し明るくしてくれる。そして少しの助けで十分なことも多い。

 

私達の日常の笑いやユーモアもそうでありたいですね。