院長徒然日記

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No.72 ポリティカル・コレクトネス(PC)

昨年末テレビ朝日「報道ステーション」の古館伊知郎キャスターが、番組を降板すると発表があり話題になりました。
定かな降板の理由は判りませんが、「報道には報道特有の放送の仕方があった。バラエティー番組では“ラーメン屋”と言えても(番組では)“ラーメン店”と言わないといけなかった。」とキャスター生活を振り返ったひとコマがありました。わたしたちの年代にとって、古館伊知郎といえば何と言ってもプロレスリングの実況放送です。それは軽快でテンポの良い早口で、自由な発想、奇想天外な発想で表現豊かな単語を連発し、わたしたちファンをおおいに楽しませてくれました。 その彼にとって言葉に制限があるのは窮屈であったと察します。しかし見方を変えると報道番組のキャスターの立場になると、それもやむを得ないことと思います。
立場により言葉の人にあたえる意味合いは微妙に変わってきますが、これも当たり前のことの一つです。わたしも医師となり、年齢とともに部署内での責任の度合いが上がり、病院の責任者となり、自分の発する言葉の影響が徐々に大きくなってきました。それにともなって言葉、内容を吟味し、発言するようになっています。まだまだ不十分ですが、社会人として当然考慮すべきことと弁えるよう心がけています。

ポリティカル・コレクトネス(PC)という言葉がありますが、日本でも最近この概念が浸透しつつあります。PCを辞書で調べると次のようです。「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見・差別をなくすことを意味する場合もある。」偏見のない中立的な表現や言葉を指すもので、PCへの配慮を欠いた発言は最近たびたび問題となり、いわゆる“ネット上の炎上”の対象になります。

日本は先進国の中でもPCに対する配慮が遅れている国であるといわれています。責任ある立場の人、特に社会的責任ある職についている人、またビジネスに携わる人たちは、PCに対する配慮を欠いた言動をすると、これからは生き残れない時代がすでに来ています。性別、婚姻状況、職業、文化、人種、民族、宗教、障害の有無など様々な属性を持った人と接する場合は、偏見のない中立的な表現・言葉を使用すべきです。確かに「言葉狩りだ」「窮屈すぎる」と感じるでしょう。どの程度配慮すべきかは、場面、時代などにより異なりますが、PCの重要性を理解し、常に配慮をし続けることが大切で、そうすることにより日本も自然体で他者を受け入れる社会に成熟していくものと考えます。
医療関係でPCの例として、“保母“が”保育士”、“看護婦”が“看護師”、“助産婦”が“助産師”、“保健婦”が“保健師”、“痴呆症”が“認知症”等々が挙げられます。当初は違和感を多少持ちましたが、最近では普通に使用されています。

ポリティカル・コレクトネスの実際を調べてみるとなかなか実践するには時間がかかると思います。しかしこれに配慮することは、物事を観察、特に人を観察し、そして言葉に対する様々な反応に注意を向けるようになり、多方面から観察する能力に実に役立つものです。常に“PC”を念頭において行動、発言に心がけたいと思うところです。

2016年 2月 1日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三