院長徒然日記

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No.7 トルコ軍艦エルツールル号遭難事件
▲願いをこめた短冊が院内の各場所に見られます。
▲願いをこめた短冊が院内の各場所に見られます。

 2020年夏季オリンピック候補地として昨年のIOC理事会でトルコのイスタンブール、日本の東京、スペインのマドリードが正式に選出されました。各都市が誘致合戦を盛んに行っています。東京の猪瀬知事は「イスラム諸国はケンカばかり」「トルコ人が長生きしたいなら、日本のような文化を持つべき」などと失言し、世界中から猛批判を浴び、お詫びの行脚となっています。トルコではイスタンブールを中心とした大規模な反政府デモが国中に広まり、いまだに落ち着く様子が見られません。正式な開催地は今年9月に決定されます。

 ところでトルコと日本の関係でまず頭に浮かぶことは「トルコ軍艦エルツールル号遭難事件」です。明治23年トルコ(当時オスマン帝国)の特使オスマン・パジャ率いる使節団が日本に派遣され、宮中で歓待を受け、明治天皇にオスマントルコ皇帝からの親書を献上したのち、横浜港を出港、帰国の途につきました。紀伊熊野灘に差しかかった時、台風の中心に入り込み、紀伊大島の樫野崎付近の岩場に座礁、そして浸水、水上爆発を起こし沈没しました。この遭難事件で生還したのはわずか69名のみで、500名以上が犠牲になっています。遭難を知った地元住民は、夜を徹して生存者の救助と手当に尽力したとされます。紀伊大島は貧しい島で、島民は食べるものにも困る状況でしたが、非常食用のニワトリなどの食料や、浴衣などの衣料を持ち寄り、遭難者たちに分け与えています。この報せをお聞きになった明治天皇は即日遭難者救助のため軍艦を現場に派遣され、皇后は日本赤十字社を通じて医師と看護婦を随伴させられました。翌年には生存者69名をトルコへ送還され、盛大な歓迎を受けました。また民間で集められた義捐金も届けられました。

 事件より95年後の昭和60年、イラン・イラク戦争の際、イラクのサダム・フセイン大統領は3月20日午後2時をもってイラン上空を飛行する航空機すべて撃墜する旨の声明を発しました。各国はチャーター便を派遣して自国民を保護にあたりましたが、当時の日本は自衛隊機はもとより、日本航空機も派遣することができず、日本人の保護ができない事態に陥りました。この状況を見てトルコ大使は「トルコ人ならだれでもエルツールル号遭難事件の際受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」と語り、トルコ航空機にて期限のほんの1時間15分前に215人の日本人を救出してくれました。制限時間ぎりぎりの危険な脱出劇でした。しかもこの救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出したのです。


 明治の時代日本の貧しい村でさえ、当時の日本人は赤十字精神にも通じる人道を実現しています。日本人は「苦しんでいる人を救いたいという思い」をもともと持ち備えている民族であると信じたいと思います。そうであるからこそトルコ民族からも愛され、日本人の窮地を救ってもらえたものと思います。

 2020年夏季オリンピックは是非東京であってほしいですね。


2013年 7月 2日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三