院長徒然日記

院長徒然日記

No.59 文化系? 理科系?

 医学部を受験し、医師になるものは、一応理科系とされています。はたしてこれは本当に正しい選択であるのか、少し疑問を抱くようになっています。
自分の過去を振り返ると、確かに大学医学部での講義内容は“理科系”に属するものであるには間違いないようです。しかしながら、一般病院で臨床家として35年続けてきて、この答えがはたして正しいのかと考えます。

臨床を行うにあたり、理科系的な思考過程を繰り返す能力が必要であることを否定するものではありません。医療技術は昔と比べ、また、わたしが学生時代に学んだことと比較すると格段の進歩がなされており、患者もこの恩恵を大いに享受しています。

それにも関わらず、医療不信までは至らなくても、全ての患者が納得のいく医療を受けているとは言えなません。この医療提供者と患者との溝を埋める大きな解決策の一つに、医師が患者目線でコミュニケーションをすることの大切さがあり、ある意味一般臨床では技術以上に重要と考えます。
コミュニケーション力をつけるには一朝一夕でできるものではありません。わたしのことを述べるなら、外科医で他人と話をすることは大の苦手で大変ストレスで、それなりに患者に対応できるようになるには時間と努力を要しました。コミュニケーション力の基になるのは“教養”であると考え、医師は“文化系”の答えもあるように思えます。

ある雑誌を読んでいて、最近日本中の多くの大学でカリキュラムから教養課程がなくなってきていることを知りました。確かに最近の医学部教育カリキュラムをみると、教養課程はあるものの、臨床実習がわれわれの時と比較してずいぶん早くなってきています。「最近の大学生は一般常識がない」「教養が欠けている」という声が社会からずいぶん出てきています。この様な声は以前よりありましたし、またわたしもそのように感じることが多々あります。単なる偏見かもしれませんが、「大学で教養課程がなくなったから、一般常識がない」となると大変な問題であります。
伊集院静氏が雑誌に『すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる』と題して寄稿していましたが、これは慶応義塾大学塾長・小泉信三の言葉です。この言葉の意味することを立ち止まってじっくり考える必要があります。
今の大学生は「大学に入ったら早く専門的なことを学びたいのに、高校の授業の繰り返しのようでつまらないと感じる教養課程の単位の取得は不必要」と考え、企業側からも即戦力の学生を求める声が大きくなり「専門性を高めてほしい」との要望があり、この両者を受けてほとんどの大学は教養部を解体した経緯だそうです。
アメリカでは学部で4年間のいわゆる教養を学び、その後で医者になりたいのなら、メディカルスクールへ、弁護士や裁判官になりたいなら、ロースクールへ、経営学を勉強したいならビジネススクールへ行くといったプログラムになっています。
最先端の科学を教えても世の中に出ていくと世の中の進歩は速いものだから大体4年で陳腐化してしまう。そこで大学では陳腐化してしまうものを教えるのではなく、社会に出て新しいものが出てきてもそれを吸収し、新しいものを作り出していく、そのような技術を教えるべきであるとコンセプトを持っています。それがいわゆる教養です。

医療技術は急速に変化・進歩しています。情報社会が発展している中で、患者もこれらの恩恵を享受したいと思うと同じく、医療者側と良好な関係を保ち納得の治療を受けたいと望んでいます。このためにはわたしたち医療者側もしっかりとした“教養”を身につけ、コミュニケーション力を磨き続け、患者と良質な医療の橋渡しとなることが求められています。

2015年 7月 23日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三