院長徒然日記

院長徒然日記

No.2 今回は自己紹介をします。
▲当院の正面玄関に咲いていたハナミズキ
▲当院の正面玄関に咲いていたハナミズキ
  今回は自己紹介をします。わたしは備後の国、広島県の東端、岡山県との県境にある福山市の片田舎の出身です。言葉使いは備後弁で、いまでも変えることなく方言で話しています。18年間備後で過ごし、以後は東北の仙台市で6年間大学生活を送りました。昭和54年東北大学を卒業し、すぐに岡山大学第一外科に入局いたしました。ここ姫路赤十字病院には医局から派遣され2年間初期研修医として過ごし、大阪の病院で主に消化器外科を中心とした救急医療に3年間従事しました。その後は第一外科研究室で肝胆膵外科を勉強いたしました。学位を取得後、岡田名誉院長、鍋山名誉院長に誘いを受け昭和63年4月に当院外科へ赴任し、それから25年が経過いたしました。この間に岡田、鍋山両名誉院長をはじめ近藤副院長、中島副院長その他外科の先生方に大変お世話になっています。おかげでわたしは消化器外科、中でも肝胆膵外科では臨床医として思う存分力を発揮することができました。


 わたしの親、親族みな備後地方に住んでいます。いまわたしは60歳になりますが、縁も土地勘もなかった姫路の地に27年間と最も長く暮らすことになりましたし、今後も続いていきます。24年前あることがきっかけで、当時70歳前のご夫婦と知り合うことがありました。住まいもわたしと近くであったこともあり、これまで親しく付き合わせていただきました。ご夫婦にはお子様がおられなく、わたしたちの子供をほんとの孫のように思って下さり、何か事あるごとに面倒を見てくださいました。ご夫婦、私たち夫婦もみな5月生まれでした。「五月会」と称して毎年5月には必ず食事会をしています。そのほかたびたび家族ぐるみで食事をし、家庭料理をいただいています。二人は姫路市の歴史、市政、医療行政など広くよく知っておられ、さまざまな知識を得ることができました。これまで私たちに何一つ要求されることはありませんでした。ただただ甘えるだけでした。私たちによいことがあればともに喜んでくださり、心配事があれば相談に乗ってくださいました。ほんとの親以上に温かく包み込んでもらいました。姫路の父母と思い感謝の気持ちです。

 おかげで姫路での生活に何不自由を感じることはありませんでした。世の中にはこのような人たちが実際におられることに、日本はまだまだ大丈夫と思うとともに、私もこの世に何かを残すことができるのかと自問自答しています。 他愛のないことを書きました。


2013年 4月 30日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三