院長徒然日記

院長徒然日記

No.25 扉
旧病院からのエンブレムが残る当院の部屋の扉
旧病院からのエンブレムが残る当院の部屋の扉
先日龍野町の姫路赤十字病院の跡地に立ち寄ってきました。
病院の建物での思い出ですが、昭和初期に建てられた建物にはエレベーターが設置されていました。
今の若い人には想像もつかないでしょうが、このエレベーターに乗るには先ず外側の扉を自分で開けて、さらに内側の扉も自分で開けて乗り込むのです。そして外側の扉を手で絞めて、内側の扉を閉めていき先のボタンを押すと動き出すのです。
古いフランス映画に出てきそうな代物でしたことを懐かしく思い出します。

笑い話ですが、日本人旅行客が外国でタクシーに乗り目的地に着き運賃を支払うまでは問題ないのですが、その後いつまでたってもタクシーを降りようとしません。「運転手はなぜドアを開けないんだ?」と不思議がっています。日本での常識は外国では通じない例えです。

日本人はあまりにも便利さの中で生活しているのではと疑問に思うことがあります。
いまや大変便利な世の中に住む私たちは、少々便利さに慣れ切ってしまっているのではないでしょうか?計算機、パソコン、スマートフォン、カメラなど身の回りのものが大変便利になっています。戦後の物のなかった時代に育った私も含めて先輩方は、少なくとも自分で使うこの様な道具等は、大まかな原理を理解したうえで使用していました。いまの時代多くの品物は原理さえ知ることなく利用しています。使い方さえ知っていれば大変便利になっています。
技術が進歩して世の中が便利になっていくことは、大変素晴らしいことであり、否定するものではありません。 しかし自分の生き方とか考え方も便利さに流されていてよいのでしょうか。

最近では便利な世に生まれ出て、自分で扉を開くことなく人生を過ごしている人が多いのではと危惧しています。
人生の扉は自分で開かなければ決して開くものではなく、望むものは扉の向こう側にあると思います。扉の内に入り中にあるものを自分で確認することが重要です。

自分の目指す手掛かりがあればさらに自分で扉を開き続けることが大切と考えます。扉の内側で望む物がなかったとか、不都合があれば、自分で後始末をして、扉を閉めることもしなければなりません。扉の開け閉めは決して自動的に誰もしてはくれません。あくまでも自分でやらねばなりません。

2014年 4月 7日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三