院長徒然日記

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No.203 “したつもり”の正月

 最近ヤフーを見ていると難読漢字の読み方について連日記載されており、その都度挑戦しています。その中で“心算”の読み、意味についての記述があり、 “つもり”と読むそうです。これに因んで今年の年始に思ったことを綴ってみたいと思います。

 今年の正月はわたしにとって例年とはことごとく異なったものとなりました。新年はいつもなら書写山円教寺で迎えるのですが、我が家の窓から見える書写山の灯りに向かって“したつもり”の初詣となりました。日があけると毎年姫路城に上り、そしてすぐ近くの護国神社に参拝するのですが、頭の中にその情景を思いめぐらせながら“したつもり”としました。また1月4日には多くの職員を前にして年頭挨拶を行うのですが、今年は人数を制限して行いました。その代わり年頭挨拶の状況をビデオ録画し、これを職員に観てもらうことで、多くの職員を前にして挨拶を“したつもり”としました。これもコロナ真只中の正月であったからこそ、このようにせざるを得なかったといえます。

 今まで当たり前として行ってきたことが、コロナにより行動のあり方が大きく変化しました。変化して初めてこのようなことも可能になり、工夫次第で如何様にでもなることを体感することができました。このことは今後わたしたちの生活において、特に人と人が関わることによって成り立つことに大きな影響を与えるものとなります。古くから慣習的に行われていたことに、原点に立ち戻って考え直す必要があります。ステップアップした新たな行動が生み出される期待感がもたれます。 しかしすべての行動を変えることが必ずしも良いとはいえません。例えば出張し、一同が集まって行う一部の会議では、会議そのものの場の雰囲気を感じ取ることも重要です。また会議終了後に皆の前では議論できないことを個人的に話題にすることも別の観点より大変重要と考えます。 これからは変化すべきことは変化し、残すべきことは残すといった取捨選択が求められる時代に急速に進むことを覚悟する元年になるのでしょう。
 ところで“心算”読めましたか?昔人間としては“つもり”ではなく、五感を伴うものが安心できます。

2021年 1月 7日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三