院長徒然日記

院長徒然日記

No.154 愛称名「人生会議」

市消防局の人と話をすることがあり、話が一段落して、救急搬送についての話題になりました。最近高齢者の搬送件数が増えており、救急隊にとっても、わたしたち救急病院にとっても大きな課題であり、これに関連してACP(後述)の話になりました。

人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組みをACP(アドバンス・ケア・プランニング)と言いますが、このACPの愛称が「人生会議」と呼ばれるように昨年11月に決まりました。また、11月30日(いい看取り・看取られ)を「人生会議の日」とし、人生の最終段階における医療・ケアについて考える日と制定されました。

日本社会も徐々に成熟し、さらには医療技術も急速な進歩を遂げており、ともすれば『患者さんの意思に反した医療を提供しているのでは』とわたしたち医療者は常に自問自答する必要性が増しています。救急現場では救急隊員も、また医療者も時間との戦いであり、ACPの提示がない時、ややもすれば患者さんの望まない医療をすることになります。
今後高齢社会がいま以上に進むとこのような場面に出くわすことが多くなり、人生会議は救急医療と切り話すことはできません。

ACPに繋がる数少ない自分の経験を記します。
人は必ず死を迎える時が来ます。普段から人生の最期を迎えるに当たりどのようにすればよいか、ある程度年齢を重ねると誰しもいろいろな想いを持っています。特に病気などで近づく死に向き合い、残された時間をどのように暮らすか、患者さんのこれらの問いに応えなければならないことに直面することがあり、これまで自分なりに知識も習得し、実践もしてきたつもりです。

ナイチンゲール記章を受章された村松静子女史の講演を拝聴する機会があり、人生の最期を迎えるに当たり看護の面から数多くの実践から適切に対応しておられ、一つ一つの言葉に感銘を受けました。また女史は多くの書籍も出版されており、告知の際に女史の言葉を内に秘めて告知に臨んでいます。

仕事柄がん患者さんに接する機会が多くあります。最善の治療を行っても、すべての方が完治するわけではありません。命に限りがあることは治療の過程で患者さんもそれとなく気づかれています。そのような時、「自分はあとどれぐらい生きられますか?」の問いかけがあります。この言葉に含まれる問いの意味するところは単に時間的なものだけでなく多くの内容を含んでいます。意味することを的確に捉え、応えるときに最も気を使いますが、良い形で告知することが出来れば、「自分で生き方を決めたい」という人が増えている印象を受けます。徐々に成熟した社会へと日本社会が歩んでいるものと思います。

ひと誰もがいつかは最期を迎えます。看取られる側、看取る側双方にとって、自分らしく生きぬくことが出来る成熟した社会を見てみたい。
わたしはまだまだ若いつもりですが、「人生会議」と愛称も決まったこともあり納得のいく自分らしい生き方を描きたいと思います。家族とも話しながら・・・

2019年 1月 28日 姫路赤十字病院 院長 佐藤四三