院長徒然日記

院長徒然日記

No.10 修 理
▲この品々には歴史があります。
▲この品々には歴史があります。

 最近の私たち日本人の多くは修理の心を失いつつあるのではと感じられることが多々あります。家電製品が壊れると、修理するよりも買った方が安いと店員に言われ、新しい製品を買ってしまう。自動車などが壊れるとパーツごと取り換えてしまう。家も最近は造りが弱々しく、古くなれば直して使うよりは建て替えてしまう。現代の社会から修理という文化が次第に消えつつあるようです。

 私が子供のころは、田舎であったことも関係していると思いますが、鍋に穴があくと定期的に巡回してくる修理屋さんに穴をふさいでもらい、また使用していた記憶があります。ズボンの膝が破れた時はパッチを当てて修繕していました。各家には修繕のための道具とか、小物がたくさん用意されていました。話によると江戸の町の生活を見た外国人が、物を最後まで大切にして無駄なく使用しているが、人々の生活は明るく、清潔感があり大変驚いていたようです。日本人には本来物を上手に使い、無駄のない合理的な生活をする文化が備わっていたと思います。その一つに修理の心も含まれていたのでしょう。

 壊れてしまったら、新しいものに買い替えてすっきりすればよいといった風潮ができてしまった現代をどのように考えればよいのでしょうか?物質であるならば、取り換えるのも、合理的であり、経済的であるのかもしれません。確かに経済の成長には寄与しているのでしょう。しかし健康のように新しいものに代えられない時、
「これで人生おしまい」
というわけにはいきません。健康を害しても修理すれば大丈夫と考えれば、人生に希望が持てます。また生活する上で人間関係は大変重要ですが、いつもいつも良好な関係であるとは限りません。仕事では人間関係の悪化は必ず伴うものです。悪化したからと言って切り捨てるわけにもいきません。人間関係の修復は大変困難ですが、修理の心を持って改善する必要があります。


 日本で使い古された自動車、自転車などが船に山積みされて東南アジア諸国に輸出されています。そこでは人々が使える部品を取り出して、それを集め修理して新たな自動車なり、自転車なりを造り、使用しているのです。その姿は実に明るく、堂々としており、暗さは微塵にも感じさせません。誇りすら感じさせられます。おそらく江戸時代の日本人もそのような生活をしていたと思います。

 私たち日本人が本来備えている修理の心を取り戻し、物質面での生活、精神面での生活を、もう一度見つめなおす必要があるのではと考えます。人々の心にゆとりが取り戻され、豊かな生活がおくれるのではないでしょうか?


2013年 8月 12日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三