院長徒然日記

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No.169 『散華抄』を読返す


  毎年8月15日、わたしたちの病院では病院正面に建立してある救護看護婦像の前で、彼女たちの偉業をたたえ、世界の平和のため、赤十字精神を実践する誓いを立てます。第二次世界大戦時、日本各地から大勢の赤十字看護婦たちが、極寒の地や赤道直下の極暑地で、し烈な戦火の中「人道」の精神を抱き、負傷者の救護活動を展開されました。 誓いを立てるにあたり、戦地でどのような活動を行い、何を考えておられたかを思い図るため、『散華抄』を読返しました。『散華抄』は姫路赤十字病院の先輩で、救護看護婦として戦地に赴き、救護活動を実践された看護婦(武山敏枝さん、小田美代子さん)が執筆された回想記です。
 昭和18年3月、姫路赤十字病院から招集された看護婦を含む24名が第376救護要員(兵庫班)としてラバウルの兵站病院をふりだしに、ミンダナオ島各地を転戦し、終戦を迎えるまでの記録は、戦争を知らないわたしにとり筆舌に尽くしがたく、畏れ多い息吹に触れるような悲壮と崇高さにみちたものです。ページをめくるごとに、心を打たれるものがあり、わたしごときが語るに相応しいとは思いませんので、内容については割愛させていただきます。この回想記を手にしていただければ理解していただけるものと思います。24名のうち、病気その他で内地に還送された方2名、殉職者15名、生還者7名でした。白衣の天使たちは次々に召集され戦地に赴きました。リボンのついた紺の制服、黒の編み上げの長靴、赤十字の腕章、胸には従軍記章が飾られ、戦地に向かい一人でも多くの傷病兵を救おうと身を粉にして活動されました。しかし戦況が悪化するにつれ、負傷者を救うことはおろか、自分たちが生き延びることで精いっぱいでした。22名は常にお互いを思いやりながら、ジャングルの中を母国の方向目指してさまよう状態でした。しかし食事もままならず栄養不足、体力低下あり、15名の方が殉職されました。昭和20年6月5日、8月15日にそれぞれ1名、その後は終戦も知ることなく、昭和20年10月15日までの間に13名の方が日本の地を踏むことなく異国で亡くなられています。一人一人の最期を詳細に記されていますが、それは想像もつかないほどの悲惨さであり、涙を誘われるものです。大変な困難に耐えながら救護看護婦として人道を実践されたことに敬意を払うとともに、清純な気持ちを最後まで持ち続けて散華していった先輩たちのご冥福をお祈りします。

2019年 8月 15日 姫路赤十字病院 院長 佐藤 四三